「貧困が児童労働を生む」負の連鎖を断ち切れ ネパールでNGOや行政、学校が協力

首都カトマンズから車で南へ5時間。ヘタウダ市は幹線道路が交差する交通の要衝で、地方から都市に働きに出る子どもたちが集まる拠点にもなってきた。
ここで食堂を営むサントス・ガルトゥラさん(36)は、5年前から子どもを雇うのをやめた。4階建てビルの1階にある店の入り口はカラフルな絵が飾られ、清潔な店内で従業員が忙しく働く。定番の豆カレーとご飯のセット「ダルバート」が人気の店だ。
ネパールは18歳未満の危険な労働を禁止する条約を批准し、国内法で14歳未満のすべての児童労働を禁止する。
一方で、児童労働が貧困に悩む子と家族を助けているように見える側面もある。
ガルトゥラはかつて、周りをぶらつく子に声を掛け、掃除や皿洗いなどをさせていた。まかないの食事も与え、良かれと思っていた。しかし、ヘタウダ市に事務所を置く労働雇用局のルドゥラ・ナラヤン・サイ局長は「児童労働は支払いも少なく、スキルやキャリアも形成できない」と断じる。NGOや警察と協力して取り締まりを強化し、直近3カ月でも子どもを働かせていた雇用主10人に2万5000ルピー(約2万7000円)の罰金を科したという。
ガルトゥラさん自身も児童労働の経験がある。レストランやホテルで働きながら、高校、大学を卒業した。今では食堂の入るビルも所有し、独立した自負もある。
それでも、取り締まりを受けたこともあり、気持ちを改めた。「今では児童労働に罪悪感を覚える。子どもが働く店を敬遠する客も増えてビジネスにもプラスになっている」
学校の役割も非常に重要だ。ヘタウダ市近郊のマナハリ村には、長く差別されてきた少数民族「チェパン」の人々が住む。18年前に地域のリーダーたちが設立した小学校を訪ねた。
チェパンの人々は伝統的に土地所有が許されずに貧困率が高い。学校に通ったことのない親も多く、教育への関心の低さが児童労働につながっていた。小学校は当初、子どもを集めるのに苦労したというが、今はチェパンの子を中心に145人が通う。
ゴルカナ・バハドゥ・ティトゥン校長(42)は「スポーツやゲームの要素を取り入れて魅力的な教育をすることを心がけている。保護者会にほとんどの親が参加するなど、理解も高まってきた」と語る。働くためにやめる児童も、10年前には年間20人ほどいたが、3、4人程度に減ってきたという。
児童労働をめぐる社会規範が変わりつつあるネパール。ILOと政府がまとめた児童労働の数も、2008年の160万人から2018年には110万人に減った。だが、ネパールで長年、問題に取り組む日本のNGO「シャプラニール=市民による海外協力の会」の横田好美・ネパール事務所長(43)は、新たな課題が出ているという。
農村部でもスマートフォンが普及し、子どもたちが自ら仕事を探して働いてしまうケースが増えている。「以前はレストランや工場にいないかを確認して、救助することが解決になっていたが、複雑になってきている」
マナハリ村に暮らすデパック・プラジャさん(18)は3年前、住み込みで働いていた首都のカーペット工場から逃げ出した。午前4時から午後8時まで働かされ、休みは土曜日の半日だけ。食事も午前10時と午後8時の2度だけだった。「仕事中にスマホを触ると、殴られた。家に帰りたいと言っても聞いてもらえず、牢屋のようだった」。父親がオーナーと掛け合っても、「帰して欲しければ5万ルピー(約5万4000円)を払え」と応じない状況だった。
カトマンズに出たのは、自分の意思だった。村には、働きに出た友人が何十人もいた。SNSで見る生活は華やかに映った。「格好いい服を着てうらやましかった」
工場から逃げた彼をサポートしたのが、地元NGOの「CWIN」。父親の相談を受けた行政当局からの連絡で、状況を把握。カトマンズやヘタウダ市の事務所にあるシェルターにかくまった。労働雇用局などと連携し、工場への聞き取りも進めた。
「当時のデパックは不安定で、涙を流して孤独を感じていた」とCWINのカウンセラー、サムジャナ・アディカリさん(35)。シェルターでの生活を経て村に戻ったデパックは、今は家族で暮らせて幸せだという。
「児童労働の解消には親の関与や教育支援、貧困対策など包括的な対応が欠かせない」。シャプラニールの会の横田さんは指摘する。